自分の弱さを認めるのが怖い人へ人生の宿題の終わらせ方

人生

自分の弱さを認めるのって
怖いですよね。

できれば見たくないし
向き合いたくもないです。

だけど、それが必要なことだ
と分かってるから
怖いけど認めなくちゃ
と頑張ってるんですよね。

自分の弱さ』を
いや『自分の醜さ
と言い換えてもいいですが

本当の自分を認め受け入れる』ことが
できれば
人生の宿題』を終わらせたも同然です。

これを読めば
自分の弱さを受け入れ
人生の宿題を終わらせる方法が
理解できることでしょう。



1:人生の宿題は残酷だ

あなたは
人生の宿題』と聞いて
どのように感じるでしょうか?

ちょっと宗教ちっくで
 なんだか怪しいな


あるいは
そんな重い荷物を
 背負えるのだろうか?


と言ったイメージでしょうか?

僕は23歳の時に
人生最大の宿題を
突きつけられました。

若い頃に宿題を片付けたので
今は本当に楽に生きていますが

当時はとても苦しかったです。
全てを呪(のろ)い恨(うら)んで

自分には生きてる価値もない
と思っていました。

  • 人生で一番楽しい時期
  • 仕事のキャリア
  • 収入

など多くのものを失いました。

でも、今では
人生の宿題を
若い頃に終わらせられて
本当に良かったと思います。

では、人生の宿題の残酷さを
見ていきましょう。


1-1:自分自身を全否定する

僕は23歳の時に
統合失調症という
精神病を発症しました。

宗教ちっくになりますが
バグった僕を見かねた神が
強制終了させてくれたのだ
と今では思っています。

バグったまま
年老いていかなくて
本当に良かったです。

僕にとってはこれが
人生の宿題でした。

これ以上はない
というほどの地獄を見ました。

統合失調症の症状として
幻聴や
あり得ない妄想があるのですが

幻聴でさまざまな人から

  • 気持ち悪い
  • 恥かしいヤツ

などの悪口を浴びせられ

妄想で自分は

  • 馬鹿にされ
  • けなされ
  • 蔑(さげす)まされ
  • 常に衆人(しゅうじん)の目に晒(さら)されてる

と思い込んでいました。

自分には生きてる価値もなく
人間としての尊厳もなく

生き恥を晒(さら)すくらいなら
死んだ方がいい
と思うようになりました。

生きたまま
晒(さら)し首になってるような
地獄絵図そのものでしたね。

このような残酷な状態が
しばらく続き

自分自身を全否定しながら
醜(みにく)い自分と長時間
向き合うことになります。


1-2:醜く弱い自分と向き合う

なんの価値もない
醜い自分と向き合うのって
恐ろしいことですよ。

多くの人が
醜い自分自身を感じながらも
自分自身と向き合わないように

鏡があっても
見て見ぬふりをしながら
過ごしてると思います。

  • 自分の容姿
  • 自分の声
  • 自分の仕草
  • 自分の表情
  • 自分の癖

他にも

  • 自分の生き方
  • 自分の考え方
  • 自分のコミュニケーション方法
  • 他人への接し方
  • 異性を見たとき思うこと
  • 誰にも見られたくない生活
  • 誰にも知られたくない検索履歴

もし、これらが大衆に知られ
自分のいないところで
評価されてるとしたら?

僕は精神病の症状もあり
このような苦しみに
耐え続けました。

耐えることも
限界に達する頃
ある境地が見出されました。

自分でどうしようもないことは
諦めるしかない
という境地です。

諦める』とは仏教で
明らかに眺める
という意味だそうです。

俯瞰(ふかん)して見る
ということでしょうね。

降参だ」「参った
と負けを認めることでもあります。

どんなに苦しい思いをしても
まだまだ自分でなんとか出来る
と思って負けを認めない人が
多いと思います。

例えば
公的支援を求めればいいのに
断固拒否して

結局、一家心中するような人達が
そうですよね。


1-3:全てをあきらめる

諦めの境地』って
穏やかで静かで暖かくて
とても居心地がいいんですよ。

これ以上はないという
苦しみの果てに訪れる諦めの境地は
天国にも似ています。

諦めたということは
醜くダメな自分を
認め受け入れた
ということです。

苦しい苦しい
と泣き叫んでる人は
まだまだ苦しみが足りないんですよね。

もっともっと苦しんで
限界に達したとき
諦めの境地が待っているのです。

ここまでは
とても残酷で非情な世界です。

一歩間違えれば
命を落としかねません。

僕の場合は
神が強制終了させてくれたから
良かったですが

自らこのような世界に
飛び込むことは
まず無理でしょう。

落ちるところまで落ちる
という言葉がありますが
このような世界だと想像していたでしょうか?

これ以上ないところまで落ちると
今度は上昇することになるのです。

人生はプラスもマイナスも
同じだと言われるけれど
うまくできてますよね。


1-4:自分なんかどうでもいい

僕もそうでしたが
苦しんでる人は
自分だけにフォーカスが当たってるのです。

自分のことしか
考えてないんですね。

僕の場合は
甥っ子が産まれた時
自分よりも大切な存在ができました。

この子のためなら
自分の命も喜んで差し出せる
という心境になりました。

逆説的ですが
「自分なんかどうでもいい」
と思えたら最強ですよ。

苦しみもがいてる人って
自分のことを大切にして
自分を守ろう守ろうと必死なのです。

「こんなちっぽけな自分なんてクソ食らえ」
そう思えたらしめたものです。

さて、人生の宿題は
ほぼ終わりました。
次はどんないいことが待ってるのでしょう?


2:人生の宿題が終わると人生イージーモード

人生の宿題が終わると
生きるのがとても楽になります。

人の気持ちが手に取るようにわかり
人間関係も良好になり

気を使わなくても
みんなから好かれて

無駄なエネルギーも浪費せず
嫌な気分になることもなく

常に上機嫌で
心豊かに過ごすことができます。

さて、その第一歩が
自分自身を認め受け入れることです。


2-1:ありのままの自分を認め受け入れる

自分自身を認め受け入れる』って
簡単なようで
とても難しいことだと思います。

・醜い自分
・ダメな自分
・弱い自分を
認め受け入れることって
あなたにはできますか?

ほとんどの人が
ここが無理なんですよね。

いい部分は受け入れるけど
ダメな部分は受け入れられない
と多くの人が言います。

それではダメなんですよ。
ダメな部分も受け入れなければ
自分自身を受け入れたことになりません。

ダメな部分も受け入れるために
醜い自分と向き合う苦しみが
必要なのです。

そして、ダメな部分も
愛(いと)おしいと思えるようになると
最強ですね。


2-2:自分自身をこよなく愛する

自分の
いい部分もダメな部分も

認め受け入れて
愛せるようになって初めて
自分自身を愛してると言えるのです。

ダメな部分も可愛いじゃないか
完璧じゃないから愛嬌があるんだよ
と言った感じで自分を認めてあげるのです。

走るのも遅いし
言葉もどこかおかしいけど
可愛い孫を見てるような心境ですね。

自分自身に対して
たっぷりな愛情を与えてあげましょう。

自分で自分を愛せたとき
人からも愛されるようになります。


2-3:誰からも愛され怖いものがなくなる

自分自身を愛せれば
全ての人を愛することができます。

そして、誰からも愛され
愛情で満たされたとき
怖いものは無くなります。

あなたの悪口を言ったり
攻撃しようとする人は
いなくなります。

みんなが
あなたの味方です。

人生の宿題を終えると
夢のような世界が待っています。

厳密に現実を見ると
この通りではないと思いますが
そうである
と信じることができるのです。

今まで述べてきたことが
僕が思う人生の宿題です。

突然ですが
ベートーベンの

交響曲第5番”運命”』という
クラシック音楽を
聴いたことはありますか?

僕は元気をもらいたいときや
勇気が欲しいとき
この曲をよく聴きます。

僕の勝手な解釈ですが
ベートーベンが
人生の宿題を終わらせた過程を
音楽にまとめたのだと思っています。

出だしの「ジャジャジャジャーン」から
“運命”は暗い音楽だ
と思われてるかもしれませんが

最後は生きる喜びに満ち溢れて
クライマックスを迎えます。

良かったら聴いてみて下さいね。
ベートーベン: 交響曲第5番”運命”
フルトヴェングラー指揮: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団



3:まとめ

人生の宿題について考えるとき
諦める』がキーワードに
なっているようですね。

いい意味で
諦められたとき
次なるステージが
待ってます。

苦しみもがいてる時は
自分のことだけを考えていて
目の前しか見えてないんですね。

もっと高い位置から
俯瞰して眺めることができた時
人生が開かれていくのでしょう。

人生において

  • 躓(つまず)いたり
  • 壁にぶち当たったり
  • 転び落ちたり

した時は

人生の宿題を与えられたんだ
と喜び挑んでみてはいかがでしょうか?

今までとは全く違う次元で
強く、そして優しくなれますよ。

常に幸せそうな笑顔を浮かべてる
素敵なあなたを目指して下さいね。


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